16. 双極性わたしにとっての「書くセラピー」
双極性障害II型寛解で、社会復帰にゆるやかにチャレンジしているsakuの体験記です。
わたしにとってtwitterや、noteや、このブログを書く目的は「誰かに伝えたいことがある」ということ以外に、「気持ちや思考を文章にすることで可視化し、自分を客観的に認識する」ことでもあります。
心がけている双極性障害の認知行動療法にも役に立ってくれていますが、
「自分の感情(期待・悩み・不安・怒り・悲しみ...etc.)を自分の頭の中でロジカルに整理をして、それを自分の言葉・文章としてアウトプットして見つめる」
ことで、今のわたし自身を受け入れる心の準備ができるのです。
そして、次の行動について自身が納得できるように計画を描いていくことができます。
(文章にするところまでいかなくても、箇条書きを出して並べ変えていくだけでも、かなり気持ちと考えが整理され、自分の中の「自分と言う人間」がクリアになります)
milieu(ミリュー)編集長の塩谷舞さんの文章が好きでよく読ませていただいているのですが、書くことはセラピー|塩谷舞(mai shiotani)|note というnoteの記事に共感するものが色々とありました。
「書くこと」はちゃんと感情を吐き出し、思考を整えるための手段だった
(...)私は昔からそうやって、「書くこと」を心を整える手段として、またキャリアプランや人生設計を考えるための、内省するための手段として続けていたようです。
それまで時々書きたくなる欲求の正体を分からないまま気持ちや思考や出来事について書き連ねていましたが、最近塩谷さんのnoteに出会って「こういうことだったのか!」と気づかせていただきました。
塩谷舞さんの文章は自分の内面を見つめ直すためのヒントにもなります。
ただし、文章を書きながらの気持ちの変化においては個人個人ですので、わたしには塩谷さんと異なる部分もあります。
しかし、その日記をちゃんと読んでみると、書いている途中で感情がある程度発散されていて、中盤から徐々に論理的、建設的になり、そして最後には割とポジティブに終わっていたりするんです。
感情
↓
理論
↓
希望
「感情→理論」までは行くのですが、わたしの場合は、最後は「希望」とも限らず。
「心配」「不満」「不安」「嫌悪」とネガティブなままであることも、今でもちょくちょくとあります。
どうしようどうしよう、やっぱりやだなー で文章が終わることも。
しかしそう感じているのであれば、自然とそう書きたくなっているのであれば、それがその時のわたしなんじゃないかなと思います。
そんなことがあってもそれはそれで良いのだと思います。
自分の感情を無理に理想的な終着点に持っていくことはしません(塩谷さんのように自然とそうなれば一番良いのですが!)。
自分の内面をスケッチして見つめ、何を望んでいるのかを一緒に考える。
それがわたしにとっての「書くセラピー」です。